こんばんは。夜の兄貴ココアです。
今夜は、いつもと少し趣向を変えます。 BGMとして流す曲そのものが、今夜の主役。チャイコフスキーの「交響曲第4番」です。
じつはこの曲、ドイツの名門オーケストラ、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が、2026/27年の新しいシーズンの開幕公演で取り上げた1曲でもあります。首席指揮者キリル・ペトレンコが、エルガーの「エニグマ変奏曲」と組み合わせて演奏しました。
世界最高峰のオーケストラが、シーズンの始まりに選んだこの曲。 でも、その誕生の裏には、ひとりの作曲家の、とても苦しい1年がありました。
1877年、チャイコフスキーに起きたこと
ピョートル・チャイコフスキー、37歳。 「白鳥の湖」をすでに書き上げ、モスクワ音楽院で教えながら、作曲家として名前が知られはじめていたころです。
この年、彼の人生に、ふたりの女性が深くかかわってきます。
ひとりは、ナジェジダ・フォン・メック夫人。 鉄道事業で財を成した家の未亡人で、チャイコフスキーの音楽に心を奪われた熱心なファンでした。彼女は手紙を送り、やがて毎年まとまったお金を援助するようになります。
ただし、ふたりには不思議な約束がありました。 決して、直接は会わないこと。 夫人の希望で、ふたりの関係は、その後10年以上にわたって、手紙のやりとりだけで続いていきます。
そしてもうひとりが、アントニーナ・ミリューコワ。 かつて音楽院で学んでいた女性で、チャイコフスキーに熱烈な恋文を送ってきた人でした。

3か月足らずで終わった結婚
1877年の夏、チャイコフスキーはアントニーナと結婚します。 ところが、この結婚は、3か月もたたないうちに破綻してしまいました。
なぜ、そんなことになったのか。 多くの研究者は、チャイコフスキーが同性に惹かれる人だったと考えています。当時のロシアで、それを公にすることはできませんでした。世間の目や、家族を安心させたいという気持ちもあって、彼は愛のない結婚に踏み切ってしまったのではないか、と言われています。
結婚生活は、彼を追いつめました。 友人の回想によれば、冷たいモスクワ川に入って、肺炎になって死のうとしたことまであったそうです。そしてその年の秋、彼は逃げるようにモスクワを離れ、サンクトペテルブルクへ、さらにヨーロッパへと旅立ちました。
その間、彼を支えつづけたのが、会ったこともないフォン・メック夫人からの手紙と援助でした。
いちばん近くにいるはずの人とは心が通わず、一度も会ったことのない人とは、深く心が通っていた。人と人との距離って、本当に不思議なものですね。
交響曲第4番は、この嵐の中で書かれた
交響曲第4番は、ちょうどこの時期、1877年の春から翌年の初めにかけて書かれました。 結婚、破綻、そしてモスクワからの逃避行。人生でいちばん激しく揺れた時期と、作曲の時期が、ぴったり重なっているんです。
完成した楽譜には、こんな献辞が書かれていました。
「わが最良の友へ」
名前は書かれていません。でも、それがフォン・メック夫人のことだというのは、ふたりの間ではわかりきったことでした。 初演は1878年、モスクワ。指揮をしたのは、音楽院の院長ニコライ・ルビンシテインです。そのときチャイコフスキー本人は、療養のためにまだ国外にいて、初演には立ち会っていません。
今夜の聴きどころ 4つの楽章を、手紙とともに
チャイコフスキーは、この曲について、フォン・メック夫人への手紙の中で、珍しく自分の言葉で説明しています。 その言葉を手がかりに、4つの楽章を順番に聴いていきましょう。
第1楽章 運命のファンファーレ
曲は、ホルンとファゴットの、重く鋭いファンファーレで始まります。
チャイコフスキーは手紙の中で、これを**「運命」**だと書きました。 幸せに向かおうとする気持ちを、いつも邪魔してくる力。打ち勝つことはできず、ただ受け入れるしかないもの。そしてこのファンファーレこそが、交響曲全体の「種」なのだ、と。
20分近くある長い楽章ですが、まずは冒頭の数十秒だけでも聴いてみてください。あの数小節に、彼の1877年が詰まっています。
第2楽章 夜にひとり、思い出にふける
オーボエが、さみしげな旋律をひとりで歌いはじめます。
チャイコフスキーはこの楽章を、仕事に疲れた夜、ひとりで本を読もうとしても手から落ちてしまい、昔の思い出が次々とよみがえってくる、そんな気分だと説明しています。
まさに、深夜に聴くための楽章です。今夜いちばん、ココアに合う時間かもしれません。

第3楽章 弦をはじくだけの、不思議なスケルツォ
ここで雰囲気ががらりと変わります。 弦楽器が、弓を使わず、指で弦をはじく「ピッツィカート」だけで、軽やかに走り回るんです。
チャイコフスキーいわく、これは少しお酒が入ったときに、頭の中に浮かんでは消えていく、とりとめのないイメージのようなもの。 重い2つの楽章のあとに来る、ふっと肩の力が抜ける時間です。
第4楽章 お祭りの中の、ひとりぼっち
最後の楽章は、オーケストラ全体が爆発するような、にぎやかな音で始まります。 途中には、ロシアの有名な民謡「野に立つ白樺」のメロディーも登場します。
チャイコフスキーは、この楽章をこう説明しています。 自分の中に喜びが見つからないなら、人々の中へ出ていきなさい。人々が祭りを楽しむ姿を見なさい、と。
でも、お祭りの真っ最中に、あの第1楽章の「運命」のファンファーレが、もう一度鳴り響きます。 にぎわいの中で、ふと自分の孤独を思い出してしまう瞬間です。
それでも、曲は最後、再びお祭りの喜びの中へ戻り、力強く終わります。 人の喜びを、自分の喜びとして感じることはできる。生きていくことは、まだできる。そんな結論のように、わたしには聞こえます。

苦しみは、作品に変わることがある
その後、チャイコフスキーとアントニーナは、正式に離婚することのないまま、別々の人生を歩みました。 フォン・メック夫人との文通は、13年ほど続いたのち、1890年に夫人の側から突然終わりを告げられます。手紙では経済的な事情が理由とされましたが、本当のところは、いまもはっきりとはわかっていません。
チャイコフスキーの1877年は、どう見ても幸せな年ではありませんでした。 でも、その年に生まれた交響曲は、150年近くたったいまも、世界中のオーケストラで演奏され、ベルリン・フィルのシーズンの幕開けを飾っています。
苦しい時期の自分を、なかったことにしなくてもいいのかもしれません。 その時間があったからこそ生まれるものも、きっとあるんですよね。もちろん、無理に何かを生み出さなくたっていいんです。生きのびた、というだけで、もう十分すごいことですから。
今夜のまとめ
- 交響曲第4番は、3か月足らずで破綻した結婚と、一度も会わない恩人フォン・メック夫人との文通の時期に書かれた
- 冒頭のファンファーレは「運命」。曲全体の種であり、第4楽章のお祭りの最中にもよみがえる
- はじめて聴くなら、第1楽章の冒頭と、深夜にぴったりな第2楽章のオーボエから
今夜は少し長いお話になりました。最後まで聴いてくださって、ありがとうございます。
もし時間があったら、第2楽章だけでも流しながら眠ってみてください。 オーボエのさみしい歌が、不思議と、やさしく聞こえるはずです。